ワットポーマッサージとは
タイマッサージの総本山と言われるワットポーで教えられるタイマッサージの手技になります
なぜワットポーなのか
タイ式マッサージはお釈迦様の専属の医師であったシヴァカ師が釈尊滅後2566年前から始まりました
この2566年前というのはタイの暦でも使われるタイ暦になっています。
- シヴァカコマラパット師はタイ医学の創始者と言われたりタイマッサージの父とも言われています。
- マッサージの手技だけに限らずハーブやミネラルに備わった癒しの効能の力も発見したと言われています
その後の歴史を順追って記していきます
タワラワティー王国 この時代は石器を使った時代になります、この石器はハーブなどを細かくしたりするために使われるようになります クメール王朝時代 アロカヤ病院が設立された時代になりますチェイバルマン7世のころと言われています スコータイ王朝 ラムカムヘン王の時代です サムンプライ農園が作られ王の管理下にてハーブや薬草の研究栽培されるようになり利用されます またラムカムヘン王の功績としてタイ語が制定されたりタイ仏教が国教とされました アユタヤ王朝 ナライ大王の時代です 仏教徒が民間療法として漢方書としてまとめられパナライ薬方書等が言われます この時代にビルマ侵攻により多くの貴重な仏教の経典やその経典の一部となるタイマッサージやハーブの資料が破壊焼失していまします。 チャクリー王朝 現在の王朝になります。 多くの変化があります
- ラマ1世
- 各地方寺院などで口伝で伝わってきた伝統医療の知識などをはじめて編纂されます
- ワットポーの修復も行われ薬草の処方やルーシーダットンの基礎となる矯正術知識を保存されました
- ラマ2世
- ビルマ侵略などにより失われた薬草の処方の再編集
- 薬剤師の重要性を高めるため宮廷内の地位を公表された
- ラマ3世
- ワットポーの2回目の修復と伝統医療のさまざまな医術書を集めて大理石に彫り込み後世への保存
- 人体図など60枚、薬草などの処方内容について1100種類のものの文章が現存
- ラマ4世
- 西洋医学が盛んになってきます
- ラマ5世
- 西洋医学と伝統医学の両方を取り入れたシリラート病院の設立され伝統医学の教育の場となりました
- ラマ6世
- 西洋医学の導入が加速される事で伝統医学の役割が減少し研究が停止された
- ラマ7世
- 法制度で西洋医学と伝統医学制度を区別し医師の階級まで制定される
- ラマ8世
- シャムからタイと国名が変更された
- ラマ9世
- 伝統医療の見直しにより保険省は伝統医療開発局が設立
- 複数の大学で伝統医療学部の設置
- 保健省管轄で822ヶ所そのうち728ヶ所は伝統医療での治療を導入されている
- 上記は2006年9月時点
このことからタイマッサージのさまざまな資料などがワットポーに収められていることから ワットポーがタイマッサージの総本山と言われる訳です。 2019年にはタイマッサージはユネスコに登録されました。
下記の写真はワットポーの境内にあるタイマッサージミュージアムの一部です。
ミュージアムに展示されていますクルダオ式トークセンの展示
タイマッサージの基礎となる エネルギーのセンと言われる資料です